2012年10月12日金曜日

復元菱垣廻船「浪華丸」をめぐって

復元菱垣廻船「浪華丸」をめぐって


大阪歴史シンポジウム

“天下の台所”と海: 水都大坂の繁栄をもたらしたもの

2012年11月17日(土曜日) 18時~20時30分
キャンパスポート大阪(梅田・大阪駅前第2ビル)

現地見学ツアー

「なにわの海の時空館・『浪華丸』 ガイドつき見学ツアー」

2012年12月1日(土曜日) 14時~16時
詳しくはこちら



浪華丸のことをご存知でしょうか。





 大阪南港に大きな木造の船が一隻あります。全長27メートル、全高30メートルのその船は、大阪港のシンボルになることを目指して、2000年に10億円をかけて復元・建造されました。その名も「浪華丸」といいます。

 現在、大阪市の海洋博物館(通称「なにわの海の時空館」)に展示されている、「浪華丸」は、かつて大坂の繁栄を支え、毎日のように大坂の湊を出入りして全国の都市との物流網を築いていた、弁財船の忠実な復元船です。ほぼ同型の北前船、菱垣廻船、樽廻船のうち、浪華丸は菱垣廻船を復元していますが、その大きさをみれば、かつての物流と大坂の繁栄の規模がすぐに理解できます。 なにしろ、浪華丸の長さはフェスティバルホールの舞台の幅とほぼ同じ、帆柱の高さは高層マンション10階分に相当するのです。

 実は、江戸時代の物流の主役だった弁財船は、ただの一隻も残されていません。実用品で、消耗の激しい廻船は、保存されることなく次々に壊されていき、日本から姿を消したのです。江戸時代には多くの模型が神社に奉納されましたが、それも完全なものは現存しません。設計図もただ一組だけが、国会図書館に収蔵されているのみです。そのため、実際の船の細部がどうだったのか、どんな航行性能をもっていたのかは、長く謎とされてきました。
 
 浪華丸は長年の海事史研究の悲願を達成する形で、考えられる限り忠実に、かつての菱垣廻船の姿を復元して建造されました。そこには失われつつある和船の造船技術がふんだんに盛り込まれています。建造の主力となった船大工の平均年齢は当時で75歳。後継者がいないために失われつつある技術も多く、今後はこのような復元は不可能とも言われます。
 
 完成後は航行実験も行われ、浪華丸は実際に大阪湾を自力で航行しました。貴重なデータがとられ、予想されていた和船の高度な航行性能が実証されました。それは、江戸時代の日本の技術の水準を示したのです。


 巨額の公費を投入して建造された浪華丸は、市民の財産です。それは歴史の重要な資料であり、和船造船技術の集大成であり、水都大坂の繁栄を一目で実感させてくれる教材です。また、その見た目のインパクトの大きさは、観光資源としても極めて有望です。

 大阪市は、大阪海洋博物館「なにわの海の時空館」の閉館にともない、この貴重な船を廃棄する可能性を含めて検討しています。私たち市民は、この問題をどう理解し、どう対処すればよいのでしょうか。

 そのことを考えるために、まず、菱垣廻船の実像と位置づけを知るためのシンポジウム、そして何より「浪華丸」の実物を見るための現地ツアーを企画しました。現地ツアーでは合わせて映像取材も行い、万一解体となった場合にも動画の共有という形で知的財産を保存できるようにしようと考えています。一人でも多くの方に参加いただき、ともに語り合い、考えてゆきたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。


0 件のコメント:

コメントを投稿